- 安倍首相の姿がトランプ大統領と重なって見える。その政権の支持層が同じように見えてしまう。それはさておき・・・。
- 安倍政権は、人事権を濫用して官僚を意のままに動かす術を知ってしまったようだ。森友学園の問題も加計学園の問題も、問題の本質は「官僚に対する人事権」を官邸が握っていることにあるのではないか。
- 自分の命運を握っている人がいれば、その人に対して媚びを売りたくなるのが人間の性だ。これは忖度の一種だ。
- 「私は何も指示をしていない」という説明は、シナリオ通りの正当化だろう。おそらく、白と黒の境目が「指示の有無」であると認識し、指示をしなくても相手が意のままに動いてくれる仕組みを考えた結果なのだろう。
- 「人事権」を押さえておくことは、禁断の果実かもしれない。今の安倍政権にとって、首相官邸の意向を忖度して勝手に動いてくれる官僚たちは、かわいい存在に違いない。もちろん、表面上は批判的なコメントを発しているが、心に響くコメントはなかったので、本心ではかばっているようにしか見えない。
- こんなことをやっていては、優秀な官僚が育つはずがない。政治家のレベルも低いままだ。批判勢力を攻撃して排除し、イエスマンに囲まれて満足しているようでは、政治家としての資質が向上するはずがない。哀れな二世政治家だ。
- 同じことが自由民主党の中でも起こっているようだ。主要派閥が揃って安倍総裁を支持する意向を表明していることは、異様な光景である。総裁候補に立候補して敗れたら、その後は人事で冷遇される(つまり「干される」)ことが分かっているからだろう。
- 同じ構図にあるのが、官僚とシンクタンクとの関係だ。官僚の意向を忖度して、官僚の期待する結果を出す術を熟知しているのが「有能なシンクタンク」として重宝されているようだ。過去の行政判断の問題点を指摘し、批判的な意見を述べるところは排除される傾向がある。
- その排除の手段として機能しているのが「総合評価方式」の入札制度である。金額だけの入札ではなく、技術力と併せて総合的な評価を行う・・・というのは一理ある制度であるが、その評価は発注者たる官僚が行っている訳であり、官僚の意向に沿った提案ができるかどうかが「技術力」の評価として重要なポイントになっている。
- 東京医科大学の入学試験でも、恣意的な点数操作が行われていたようだが、総合評価方式の入札における「技術点」も、点数の内訳は公表されず、恣意的な操作が行われている可能性が否定できない。いくつかの具体的なケースで考えた場合は、恣意的な操作が行われたことが「ほぼ確実」ですらある。
- それにも関わらず、そのような総合評価方式の入札で「恣意的な操作」の結果として破れた側が異議を申し立てないのは、次回以降の入札への悪影響が懸念されるからだ。一度でもそのような行動に出れば、その省庁の仕事は二度とできなくなるかもしれない・・・というプレッシャーがある。
- その結果として、官僚の顔色をうかがう「コンサル」ばかりが増えてしまい、日本には真のシンクタンクが育っていないのではないか。少なくとも,シンクタンクが育たないような構造になっている。
- 「相手を意のままに動かす方法」を知ってしまったことが、不幸の始まりかもしれない。